2020.10.26
  • インタビュー
近藤実希(Star☆T)| 歌もダンスも大好きなので、それが合体したようなこの活動は楽しさが2倍ですね
    Speak emoにてスタートした、愛知県豊田市のご当地アイドル、Star☆T(スタート)のメンバー全員インタビュー。第11回は近藤実希(こんどうみき)をお迎えした。   ふぅ。疲れた。笑い過ぎて。大半の「(笑)」や「アハハ」はキリがないので割愛している。それでもこれだけ残っているが…。   それにしても、この面白エピソードの数々。まだ14年間しか生きていないのに、どれだけネタがあるのか。まぁ、その始まりは“0歳以前”からなのだが…。   逸材揃いのStar☆T次世代メンバーの中でもひときわ異彩を放つ、いわば“飛び道具”だ。ゆえに、時にどこに飛んでいくか予測不能なこともあるが、投げれば必ず打ち返してくれる安心感、あるいは信頼感のようなものがある。   それでいて、真面目で努力家の側面もある。幼い頃はまさに自由奔放だったようだが、人生の転機を迎え(その一つがStar☆Tへの入団だ)、情熱を傾ける対象を見つけ、人知れず努力を重ねるまでとなったのだ。とりわけ大好きな歌とダンスに関しては…。   4歳から始めたダンスにはダイナミックな躍動があり、その切れ味鋭い歌声にはパンチがある。間違いなく次世代Star☆T を担う存在になるだろう。そして何より「何かやってくれそう」なキャラクターは、Star☆T の看板の一つとなり得る可能性を秘めている。   まだ14歳。恐るべき14歳。近藤実希にお話を伺った。鑑真。お腹の中。問題児。厳しさ。ノート。やさぐれた歌唱。Star☆Tが誇る“アンファン・テリブル"近藤実希の生き様をご一読いただきたい。               鑑真からはいろいろ学びました       ーー取材させていただくの、めっちゃ楽しみにしてたんですよ。   近藤実希(以下:近藤):そうなんですか?(笑)   ーー面白い方ですよね。   近藤:そんな面白くないですよ、私(笑)。   ーー今回は爆笑記事にしたいなと思ってるので。   近藤:ぜひお願いします。   ーーいえいえ、お願いするのはこちらの方です。   近藤:わかりました。   ーー今、中学3年生ですよね?   近藤:はい。中学3年生です。   ーー高校受験ですか?   近藤:高校受験の年です。はい。   ーー「高校受験の年です」っていう今の言い方だと、何か「“年”ではあるけど自分は関係ない」みたいなニュアンスですけど(笑)。   近藤:違います違います(笑)。受験します。大丈夫です。受験します。   ーーなるほど(笑)。進路のことを考えたりとか大変なんじゃないですか?   近藤:もうしてますね。自分の中では行きたい高校も決まっているので。   ーーじゃあ、もう余裕って感じですか?   近藤:いや、勉強のほうが(笑)。   ーーなんかStar☆Tのメンバーって「勉強できない」ことを売りにしている人結構いるじゃないですか。「売りにしてる」っていうのも変ですが…(笑)。   近藤:売りにしてるんですかね?   ーーええ。自ら言う方が結構いるじゃないですか。ちょっと“保険かけてる”みたいな。「頭が悪い」って言ってて本当は頭いいみたいな、そんなタイプでしょ?   近藤:そんなことないですよ。   ーーないですか?   近藤:しっかり頭悪いです(笑)。   ーーでも、いろいろ配信とか拝見してると、頭の回転が速いなというのはすごく感じます。   近藤:本当ですか?   ーー頭いいですよ。   近藤:本当ですか? 頭いいですか?   ーーただ、人によってそれが“学校の成績”として表われるタイプと表われないタイプがあると思うので。実希さんの成績は知らないですけど、もしかしたら表われないタイプなのかもしれないですが…。でも、社会に出れば頭の回転が速ければ成功しますよ。大丈夫です。   近藤:ありがとうございます。じゃあ、それを胸に今回のインタビュー頑張っていきますね。   ーー一応勉強も頑張ってください(笑)。   近藤:はい(笑)。ちゃんと頑張ります!   ーーでは、得意科目って何ですか?   近藤:最近は社会をめちゃめちゃ得意科目にしようとしてますね。   ーー“しようとしてる”わけですね。   近藤:今めっちゃ社会が好きになっちゃって。   ーー社会といっても、地理、歴史、公民とかあるじゃないですか。   近藤:歴史がめちゃめちゃ好きですね。   ーー日本史ですか? 世界史ですか?   近藤:日本史です。   ーーそういう意味では、愛知県って歴史の宝庫じゃないですか。   近藤:ですね。愛知県。そうですね。   ーーやっぱり織田信長とか徳川家康とか?   近藤:いや、私は鑑真なんですよ。   ーーそうだ。何かに書いてましたよね。はい。でも渋いところきましたね。   近藤:鑑真が大好きなんです、私。   ーーそれはなぜですか?   近藤:呼ばれてもいないのにわざわざ仏教の戒律を伝えるために日本まで来る、という精神がまずすごい! 何回も失敗したのに「行くんだ」みたいな精神が本当に好きで。   ーー呼ばれてもいないのに(笑)(編注:実際には、唐に渡った日本の僧、栄叡や普照らの要請によって来日した)。   近藤:それに惚れました。鑑真のその気持ちに。   ーー何回も来ようとして、でも、嵐に遭ったりして失敗するんですよね?   近藤:はい、そうです。5回失敗して、途中で視力を失っちゃうんです。でも、盲目になっても、仏教を伝えるために頑張って、6回目でようやく日本に来たんです。   ーーなるほど。   近藤:すごいですよね。鑑真からはいろいろ学びました。諦めない精神とか。頑張ればいつかは成功するというのを学びました。   ーーじゃあ、TIF予選で落ちたぐらいどうってことなかったと。鑑真から比べるとまだまだ甘いなって感じですかね(編注:最終的には敗者復活戦を勝ち抜き、TIF2020に出場を果たしました!)。   近藤:そうです。甘い。鑑真に比べちゃうと。   ーーStar☆Tの活動にも生きてるわけですね(笑)。   近藤:はい(笑)。   ーー尊敬する人っていうと「鑑真」って言ってるわけですか?   近藤:はい。そうです。   ーー鑑真グッズとか持ってるんですか?   近藤:鑑真グッズは持ってない(笑)。欲しいんですけどね。鑑真のぬいぐるみみたいな(笑)。   ーー見つけたらプレゼントします(笑)。   近藤:ありがとうございます(笑)。   ーーここまででもう面白いわ。本当に(笑)。   近藤:(笑)。    
2020.10.22
  • インタビュー
加納エミリ | 曲が出来るかなり前から「朝になれ この恋を忘れるまで」っていうフレーズだけがずっと頭にあって…
  今年の4月11日、加納エミリは突然“活動休止宣言”をツイッター上で発表した。これには大いに驚かされた。   というのも、2018年末あたりから頭角を現し、2019年は一年を通してグングン知名度を上げ、“ネクスト・ブレイク・アーティスト”として衆目を集めるまでとなり、2020年はいよいよ飛躍の年になると期待されていた矢先のことだったからだ。   そして、その理由としては「体調不良」と記され、「すぐに復活するかもしれないし、時間がかかってしまうかもしれない」とも述べられていた。大いに心配した。もしかしたら、もう復帰することもなく、このまま音楽活動を辞めてしまうのでは?と危惧したりもした。   まぁ、無理もなかろう。作詞作曲編曲はもとより、プログラミングからプロデュース、さらには振り付けやマネージメントやブッキング、そして納得がいかなければミックスまで自らの手で行なう、掛け値なしの“完全セルフプロデュース”であり、しかも自ら「完璧主義者」と称するゆえに、知名度が上がって周囲が騒がしくなっていけば、単なる“パフォーマー”の何倍もの負担がかかってくるのだ。また、このコロナ禍による様々な制限も彼女の心身に大きな影を落としたことだろう。その傷が深くなければいいのだが…。そんな懸念は日増しに大きくなっていった。   だが、それは杞憂に終わってくれた。“活動休止宣言”から約4ヶ月後。思ったよりも早い“復活宣言”を出してくれたのだ。しかも、素晴らしい新曲「朝になれ」を引っ提げて。   「朝になれ」は、様々な意味で示唆的である。   まずそのサウンドは、“NEO・エレポップ・ガール”としてシーンに颯爽と現れた彼女のイメージとは大きく異なり、ギターをメインに据えたものとなっている。もっとも、彼女の音楽の多様性は昨年11月にリリースされた1stアルバム『GREENPOP』にも示されており、また“ギターバンド然としたサウンド”は昨年12月の“GREENPOP”レコ発ワンマンライブでも大きく打ち出されてはいたが…。ともかくも、この一曲によって加納エミリの新たな一面が明確に示されたのみならず、ここからあらゆる方向へと進むことができる可能性を示唆するものとなった。   そしてこの曲は、彼女のメロディメイカーとしての才能を示すものでもある。一度聴いたらスッと入り込んでくる旋律。その譜割や抑揚などに、レトロなものを愛でる彼女の本質的な感性が垣間見られ、それゆえに表現者としての“軸の強さ”も示されていて、より説得力を帯びている。   「朝になれ」は“祈りの歌”である。東京での悶々とした生活のことが歌われており、その虚無感の中から滲み出てくる祈りは、極めて個人的なものであるにも拘らず、いや、極めて個人的であるがゆえに、根源的で普遍的な響きを獲得している。   そしてそこには、それを受け入れることによって生じる、微かな“強さ”や“希望”のようなものも感じられる。ゆえに、この曲を聴くたびにじわじわと心に染み、次第に心揺さぶられるのだ。   そんな新曲をリリースした加納エミリにお話を伺った。この取材後に行われた復活ライブでも、ブランクを感じさせない見事な歌いっぷりを披露してくれた彼女だが、このインタビューでも、画面越しに元気な姿を見せてくれた。そして、北海道での休息期間について、新曲「朝になれ」について、そして「アイドル」や自らの立ち位置についてなど、たっぷりと語っていただいた。ぜひご一読いただき、彼女の元気な姿を感じ取っていただきたい。               今の目標は家族とお世話になっている方々へ恩返しすることしかなくて       ーーまずは、やはり活動休止のことを少しお訊きしておかないとと思うのですが、4月11日にTwitterで発表された時は、本当に突然だったので驚きましたし心配しました。   加納エミリ(以下:加納):はい。ご連絡もいただいちゃって。   ーーいえいえ。活動もすごく順調で"ブレイク前夜"といった状況だったので、本当にびっくりしました。言える範囲で構わないんですが、やはり体調が悪かったということですか?   加納:身体的なこともそうですし、内面的にもちょっと調子を崩してしまったというか…。   ーーなるほど。で、4月11日にそういう発表があって、すぐに北海道は札幌のご実家に戻られたんですか?   加納:はい。もうすぐに帰りましたね。   ーーで、復帰されたのが8月の…。   加納:お盆明けの8月17日です。   ーーその間はずっとご実家に?   加納:そうですね。所用があって少し東京に戻っていた時期もあったんですが、ほとんど北海道で過ごしてました。   ーーあぁ、Twitterで少し呟かれていましたよね。それは音楽関係のお仕事で?   加納:いえ。新居探しでどうしても東京に戻らざるを得なくなって…。少しの間でしたけど…。お家が決まって、手続きとかその他のことが終わってから北海道に戻って、そこからまた1カ月半ぐらい実家で過ごしていました。   ーー一時期東京に戻りつつも、基本的には札幌で、と。その活動休止期間には、曲作りなど精力的にされていたんですか? それとも音楽を断っていた時期もあったんですか?   加納:最初の1カ月ぐらいはもうまったく何もできなかったんですが、それを過ぎたらもう曲を作ってましたね。   ーーなるほど。でも逆に言えば、最初の1カ月は音楽には触れなかった、と。もちろん聴いたりはされてたとは思うんですが…。   加納:そうですね。でも、なんか本当に時間がある時にしか聴かなかったです。あまり聴かなかったですね。   ーーそうですか。その時期は何をされてたんですか?   加納:えっ、何してたんだろう…? あまり憶えてないんですよね。まぁ、実家なのでお母さんの作った美味しいご飯を食べて(笑)。あとはゲームしたりとか、ひたすら寝てたりとか、“廃人の生活”をしてました。   ーー北海道って一時期コロナで大変でしたもんね。2月末から3月中旬まで緊急事態宣言が発令されて…。   加納:そうですね。一番最初にコロナが広がったみたいなところもあるので。でも、私が帰った時はもう酷くはなかったですね。まぁ、そこそこ多かったんですけど、東京の方が全然多かったと思います。   ーー加納さんが札幌に戻られたのは、ちょうど東京が緊急事態宣言を出した直後ぐらいでしたよね。   加納:そうですね。   ーー活動休止はコロナの影響もありましたか?   加納:かなり大きかったと思いますね。   ーー体調が悪くなったっていうのも、コロナの影響でライブができないとか、外出できない、人と接触ができない、といったことが要因でもある、と。   加納:そうですね。大きいです。   ーー単刀直入に言っちゃいますけど、数年前に「メジャーレーベルでの“飼い殺し”の時期があった」と最初のインタビューでおっしゃったじゃないですか。   加納:そうですね。   ーーそんな時にも体調不良みたいなものはあったんですか?   加納:いや、あの時は落ち込んだのは落ち込んだんですけど、今回みたいな感じではなかったですね。こういう体調不良は初めてでしたね。   ーー初めての経験だったわけですね。   加納:人間なので、どうしても落ち込む時ってあるじゃないですか。でも自分は全然まだ平気だと思ってたんですよ。で、去年のスケジュールがすごく忙しかったんですね。全然売れてもないのに「なんでこんな忙しいんだろう」って(笑)。   ーーいやいや、売れてきてたじゃないですか。   加納:う~ん。なんだろう。フリーランスなので自分のことは自分でやんなきゃいけないという忙しさもあって。去年アルバムをリリースした時にプロモーションとかイベントとかがすごく重なって、肉体的にも精神的にも毎日結構キツかったんですね。多分その蓄積が、今年のコロナで「グハッ」て(笑)なっちゃって。それでようやく自分の状態に気づいたというか…。   ーーそういう意味でも、北海道に帰られたということは、環境の変化という点で、やはりエミリさんにとってはいい影響を及ぼしたわけですか?   加納:そうですね。過ごしやすいですし、一番落ち着く場所ですね。   ーー東京の水は合わないですか?   加納:いやいや、まぁ慣れました。でも、私も19歳の時に上京したのでもう5~6年になると思うんですが、最初の2年ぐらいは「東京楽しいな」みたいな感じだったんですけど、だんだん東京の窮屈さを感じてきて…。そういう中で北海道に帰ると、北海道って土地が広いじゃないですか。車とか人も東京みたいに多くないですし。あとは気候も涼しくて過ごしやすいとかで、すごくリラックスできてリフレッシュできましたね。自分の人生の目標もこのコロナで変わりましたし、北海道に帰ったおかげで、「本当に大切にするものは何なんだろう」みたいなところとかも前と変わったので、結果的に良かったかなと思ってます。   ーーよろしければ、その辺のところを聞かせていただければと思うんですが。「本当に大切にするもの」って何でしょうか?   加納:はい。今までは"自分の結果"しか見てなかったんですよね。数年後にどこどこまで行って、さらにその何年後かにこういうことがしたいっていう、自分の仕事に関する目標しか考えてなかったんですが、実家に帰って、家族ととても仲がいいので、その家族と時間を過ごしてると、仕事も大切だけど一番大切にすべきものって自分のことを支えてくれる人とか守ってくれる人だな、ということに恥ずかしながら初めて気付きまして…。なので、今の目標は家族とお世話になっている方々へ恩返しすることしかなくて。で、家族に恩返しするにはやはり多少お金もかかることなので、おのずと仕事もついてくるというか、稼げるようになるまで仕事が上手くいくようにしなきゃ、って思うようになったというか…。そういう変化がありました。   ーーなんか、その若さでそういうことに気付くってうらやましいですね。僕なんかこの歳になってやっとそういうふうに思えるようになったって感じですよ。でも、ちょっと揚げ足を取るような言い方になっちゃうかもしれないですが、家族に恩を返すためにお金を稼がなきゃいけない、と。それは別に音楽に限った仕事でなくてもいいということですか?   加納:いえ。やはり自分のやりたいことで叶えたいですね。今回のコロナ禍で分かったことですが、「音楽ってすごくもろいものだな」って。人間が生きてく上で必ずしも必要なものじゃないじゃないですか。「プラスα」というか…。こういう切迫した時期に音楽などのエンターテインメントは必ず削られちゃう部分なのかな、と思っちゃって。なので「音楽ってなんでやってるんだろう」って思うんですが、結局自分が今楽しいと思えることが音楽以外にないので、自分が楽しいなって思えている間は音楽を続けていきたいなと思ってます。逆に、なんかもう音楽楽しくないなと思ったら辞めると思います。   ーーなるほどね。これは辞めない人の意見ですね(笑)。   加納:いやいや、わかんないです(笑)。   ーー僕も大学を卒業して就職する際に、音楽業界か、銀行とかそういう企業に入るか迷ったんですけど、人生が二度あれば一回ずつやればいいけど、一度だから好きな方をやろうと。で、音楽に関連する仕事に就くことで音楽が嫌いになったらその時点で辞めよう、って思ってこの業界に入りました。   加納:そうですね。私もそういう感じです。   ーーでも、結局なんだかんだしがみついてますから(笑)。で、この活動休止期間で「考え方が変わった」とおっしゃいましたが、音楽観といったものも変わりました?   加納:うーん。やりたいことは変わらないですけどね。やっぱりどっちかというと“トガッてる”側にいたいっていうのはあります。“カウンター”側の方にいたい、みたいな。   ーーなるほど。レーベルという意味での「メジャーかインディーか」っていうのではなくて、サウンド的な意味というかマインド的な意味でのインディーでいたい、と。ファンクラブ「EMIRI CLUB」のブログでもそんなようなことを書かれていました。   加納:(笑)。あ、そうです。え? 入ってるんですか?   ーー入ってますよ。   加納:えーっ! すいません(笑)。   ーー開設されてすぐに入りました。読んでますよ。   加納:えー、恥ずかしい。   ーーそんな風に「インディーであり続けたい」「トガッていたい」ということですが、例えば具体的な方策として、今回ある意味“再チャレンジ”という側面もあるじゃないですか。となると、“同じ徹を踏まない”ための対策というか、プランというか、そういったものが必要だと思うんですが…。前回のインタビューのときに加納さん自身の中に“パフォーマー”と“コンポーザー”と“プロデューサー”の3人がいて、まぁ“振り付け師”とか“マネージャー”などもあるのかもしれないですが、負担がすごく大きいじゃないですか。でも、今のところは同じ形で行く感じですか? 例えばもっとスタッフを増やすとか、どこかの事務所に入るとか。   加納:そうですね。今はライブなどできない状況なので具体的には動いてないですが、来年あたりでコロナが落ち着けば、その時にマネジャーさんをつけたりとか、あとは共同で音楽制作をしてくれる方たちとチームを作りたいなというのはずっと思っています。   ーーこれまではある意味全部やってたわけですもんね。そういう意味では、マインドはインディーのままで、フリーランスでやりながらも、もう少し組織のようなものを作っていこうというような感じですか。   加納:はい。   ーー例えば、それによって加納さんの音楽って変わりますかね。   加納:いや、自分的にはブラッシュアップの意味を込めてそういうチームを作りたいと思っているので…。やっぱり自分の能力だけだと、それでいいものができるという自信はあるんですが、やはり他の方のノウハウやセンスや才能をお借りして作った方が絶対にもっといいものになるんじゃないか、とずっと思っていて…。なので「自分一人でやってます」ってことに正直そんなにこだわりもないので、みんなで音楽をやっちゃおうというか…。やはり自分の仕事を全うするためには、マネジャーさんとかスタッフさんは必要だなって思いますね。  
2020.10.18
  • インタビュー
伊勢実恩(Star☆T)|皆さんにえくぼができるような笑顔を届ける神様になりたいです!
Speak emoにてスタートした、愛知県豊田市のご当地アイドル、Star☆T(スタート)のメンバー全員インタビュー。第10回は伊勢実恩(いせみおん)をお迎えした。   誤解を恐れずに言えば、彼女の魅力は画像や動画だけでは伝わり切らないかもしれない。   柔らかな笑顔にえくぼ。心地好い声。人の良さそうなオーラ。落ち着いた雰囲気。しっかりとした言動に当意即妙な受け答え。そして、礼儀正しさ。かといって、変に距離を感じることはなく、時に親しげに懐に入ってくることもある。といっても、決して馴れ馴れしいわけではなく、その距離の取り方が絶妙なのだ。ZOOMの画面越しの取材ながら、筆者もメロメロになりそうだった…いや、なってしまった。   そんな彼女は"音楽"が大好きだ。ピアノは10年近く習い、小中学校で計6年間吹奏楽部でパーカッションを担当し、高校では音楽を学んでいるという。いわゆるアイドルが言う「音楽が好き」とは少々ニュアンスの異なる、本格的な「好き」であり、音大レベルとまでは言わないが、アカデミックに音楽を修得しているようなのだ。“パーカッション”といえば、#歌うすたーとver.の「2021」では、冒頭から自前の電子ドラムでステディなリズムを刻む彼女の勇姿が印象的である。   そして彼女は、team luaのサブリーダーを務めており、いわゆる“7名の選抜メンバー”ではない“Bチーム”でも、リーダー的役割を担う浜川一愛をサポートしているらしい。ちなみに、吹奏楽部では副部長も務めたそうで…。決して自分が前へ前へ出るようなタイプではなく、状況を大局的に捉えながら必要なところをサポートするタイプのようだ。まさに、堅実なリズムによって音楽全体を支えるドラマーならでは、である。   さらに彼女は、和久田朱里総リーダー曰く「めちゃくちゃ努力家」とのこと。突然ポジションの変更を言い渡されながらも一晩で覚えたエピソードが語られているが、ダンス経験者ではなく、「あまり得意ではない」という彼女がそれだけの対応力を発揮しているのは、やはり彼女が努力家である証左だ。ちなみに、インタビュー内でも述べられているが、「負けず嫌い」で「心配性」とのこと。そうした性格が“努力”の原動力となっているのも、彼女の優れたところであろう。   そんな、Star☆Tが誇る“負けず嫌いで心配性のリズムマシーン”伊勢実恩にたっぷりと語っていただいた。音楽のこと、パーカッションのこと、Star☆T内での役割やメンバーとの関係性、そして将来のこと、などなど…。彼女の奥深い魅力が伝わるものとなっていれば幸いである。いや、ここに書き記しただけではまだまだ充分ではなく、実物の彼女に会って話してみないとその全貌は見えてこないかもしれない…。まずはインタビューをご一読いただき、ぜひ彼女に会いに行っていただきたい。             小学校から中学校まで吹奏楽部に入ってて、ずっとパーカッションをやってました     ――まだ17歳なんですね。   伊勢実恩(以下:伊勢):はい。17歳です。   ――大人っぽく見られますよね?   伊勢:そうですね。ファンの方からも「大人っぽいね」って言っていただくことが多いかもしれないです。   ――お顔立ちとか佇まいとか発言とか、大人っぽいです。   伊勢:本当ですか?   ――そう言われていかがですか?   伊勢:どうだろう…。年齢的には、大人っぽいって言われても幼いって言われても、どっちもうれしいというか。でも、幼いって言われることは少ないですね。   ――「幼い」って言われることもあるんですか???   伊勢:ちらほらはあります。でも「大人っぽい」って言われる方が断然多いですね。   ――受け答えもすごくしっかりしていて、すごく聴きやすいというか、心地好い声をされていますよね?   伊勢:そうですか?   ――はい。で、「頭良さそうって言われるのが嫌だ」っていう発言をどこかで聞いたことがあるんですが…。   伊勢:よくご存じで(笑)。ちょっと恥ずかしいですね。   ――頭“良さそう”じゃなくて、“良い”でしょ?   伊勢:それが良くないんですよね(笑)。   ――そうなんですか?   伊勢:そうなんです、そんな良くないんですけど。   ――謙遜されてるとは思うんですが。   伊勢:いやいやいや。   ――こうやってすごくしっかり喋られるし、とても聡明なイメージです。   伊勢:本当ですか?   ――まあ、謙遜されてそうおっしゃっているるとは思うんですが…。得意な科目は何ですか?   伊勢:科目。やっぱり音楽が好きです。今行ってる高校も、保育コースに入ったんですが、そこにソルフェージュっていう音楽の基礎を学ぶ授業があるんですよ。その授業で音楽のことを学ぶのが大好きですね。   ――昔から音楽がお好きだったんですか?   伊勢:音楽はずっと好きですね。とにかく歌うことが好きで、合唱とかも好きです。   ――楽器をやられたりとかは?   伊勢:楽器は、小学校から中学校まで吹奏楽部に入ってて、ずっとパーカッションをやってました。   ――#歌うすたーとの「2021」でドラムを叩かれていましたよね。あれはすごい印象深くて。実恩さんのイントロから始まるわけですから。カッコいいですね。   伊勢:えぇ、本当ですか? ありがとうございます。   ――あれは練習用のドラムですか?   伊勢:電子ドラムですね。   ――あぁ、電子ドラムなんですね。   伊勢:そうですね。ゴムのやつ。   ――なるほど。家で練習用に使えますし、音源に繋げばライブでも使えるわけですね。   伊勢:そうですね。   ――吹奏楽の時は、それを使ってたんですか?   伊勢:いや、これは家での練習用です。学校の物は持ち帰ることができなかったので、自分でお家で練習したいなと思って親に買ってもらいました。   ――吹奏楽の時は生のドラムだったんですか?   伊勢:そうですね。生のドラムでした。   ―ー普通のドラムキットを叩いていたんですね。すごいですね。でも吹奏楽部に入るっていうと、普通は管楽器をやりたいからだと思うんですが、ドラムス/パーカッション担当になったのはなぜなんですか?   伊勢:最初は私も管楽器がやりたかったんです。吹奏楽を始めたのは小学校4年生の頃からで、入る時はトランペットに憧れていたんですが、なかなかうまく吹けなくて、他の楽器も試してみたんですが「吹けない」ってなっちゃって…。で、これはもうパーカッションしかないと思ったんです。音楽というか楽器はやりたかったので、それでパーカッションをやることになって、やっていくうちに楽しくなっていって…。パーカッションっていろんな種類があって、曲によって変わるから、いろんな打楽器に触れられて、それがまた楽しくて。なので中学校からもパーカッションやりたいと思って、計6年間やりました。   ――そうだったんですか。   伊勢:そう。吹けなかったんですよ。   ――吹奏楽、楽しかったですか?   伊勢:めっちゃ楽しかったです。毎日音楽に触れることができたので、それはすごく楽しかったですね。   ――吹奏楽部って、僕の学生時代とかっていうと正直ちょっとマイナーなイメージだったんですが、2004年の映画『スウィングガールズ』がヒットした影響などで吹奏楽ブームが起こって、今やメジャーな部活になってますよね。どうですか? “青春”でしたか?   伊勢:そうですね。もうずっと部活やってましたね。部活一筋でした。   ――何か大会に出て優勝したりとか?   伊勢:私が1年生の時、1年生は運搬とかやってて出てはいないんですけど、2、3年生が東海地区大会に行って、銀賞を獲りました。私たちが2、3年の時は全然ダメでしたけど…。   ーー銀賞を獲るぐらいですから、かなりの強豪校だったわけですね。   伊勢:強豪なのかなぁ。どうなんだろう…。   ――練習は厳しかったですか?   伊勢:厳しい時もありました。人数も多かったので、団結するために結構厳しく指導されました。先生も厳しかったですね。   ――team luaのサブリーダーである伊勢さんは、吹奏楽部でも部長とかやられてたんですか?   伊勢:3年生の時にパートリーダーと副部長をやってました。   ――そこでもサブリーダーだったんですね。   伊勢:部長を支えるという立場で(笑)。   ――ところで、一番最初に音楽に触れたのっていつどんな形でですか?   伊勢:最初に音楽に触れたのはピアノです。小学校1年生からピアノをやってたんですよ。   ――それまで、例えば保育園や幼稚園の時は、アイドルを見て歌って踊ってたとか、何か音楽に興味を示していたとかありましたか?   伊勢:発表会で踊ったりしていたので、やっぱり歌って踊るのが好きだったと思います。なので、一番最初の音楽っていうのは発表会でやったダンスですかね。楽器ではないですけど。   ――じゃあ、本格的に音楽を意識したのっていうのは、小学校から習ったピアノから、と。   伊勢:そうですね。ピアノを始めたのが本格的な音楽との出会いだと思います。   ――それは自分で「やりたい」っておっしゃったんですか?   伊勢:最初は、おじいちゃんに「ピアノとかどう?」って言われて。私のおじいちゃんは音楽が好きで、ギターとか弾いていたので、「実恩、どう?ピアノやってみない?」って何年間か言われ続けてたんですよ。私は「いいよ、やらない」って言ってやらなかったんですけど、ある時突然「あ、やってみたい」ってなって始めました。   ――それが小学校1年生の頃、と。   伊勢:そうですね。   ――お祖父様はプロの音楽家だったんですか?   伊勢:そうではないですけど、音楽好きですね。   ――で、ピアノを始められて、楽しかったですか?   伊勢:楽しかったですね。年1回発表会があって。大きなホールとかで。それに向けて練習するのがすごく楽しかったなっていう思い出があります。   ――ピアノはどれぐらいまで続けていたんですか?   伊勢:Star☆T入る前までやってました。   ――入られたのが2017年ですよね。   伊勢:そうです。中3ですね。   ――じゃあ結構長いですね。10年近く?   伊勢:そうですね。   ――かなり本格的にやられてたわけですね。   伊勢:そうですね。習い事は9年~10年続けていたものが多いかもしれないです。   ――というと、他にも何か?   伊勢:英会話とか塾とか水泳とかやってました。   ――Star☆Tのメンバーって習い事する人多いですね。   伊勢:本当ですか。結構います?   ――いますいます。皆さん3つや4つやっていて、しかも結構長いことやられてる方も多くて。瑠果さんが空手と書道とか。misolaさんを始め、ダンスをやられてたメンバーはいっぱいいますし、和久田さんはすごい沢山やってたようで。でも、実恩さんもすごいですね。水泳も長く続けてたんですか?   伊勢:そうですね。水泳は幼稚園の年中からですかね。   ――Star☆Tに入るまで?   伊勢:水泳は小学校の最後ぐらいまで。   ――なるほど。じゃあその中でもピアノが一番続いたわけですね。   伊勢:そうですね。ピアノと英語ですね。   ――おぉ、英会話も続いてたんですね。   伊勢:はい。年中組から中3まで。   ――じゃあ、英語はもうばっちり喋れるわけですね。   伊勢:いや、もう全然(笑)。全然身に付いてない…。   ――結構長いじゃないですか。それこそ10年近くになります。   伊勢:そうですね。10年になりますね。   ――せっかく10年続けたんですから、何かに生かしましょうよ。   伊勢:身に付いてないんですよ、本当に。   ――Star☆Tもコロナが終息したら積極的に海外進出を目指すといいと思いますが、その際に役に立ちますよ。   伊勢:頑張ります(笑)。    
2020.09.28
  • インタビュー
宇野友恵(RYUTist)|「もっとああしたいこうしたい」っていう欲が今もうバーッて出てきています
RYUTistメンバー個別インタビュー。ラストとなる第4弾は宇野友恵をお迎えした。   筆者は彼女の歌声と歌いっぷりが大好きである。日本で最も好きな女性ヴォーカリストの一人に数えるほどだ。ひっくり返ったり、よじれたり、力んだり、といった“危うさ”を感じさせつつも、それらが実に豊かな表情や色彩を生み、さらには波打つような“うねり”を生じさせながら、聴き手を心地好く翻弄する。その快感は、歌い手としてのタイプは全く異なるが、カエターノ・ヴェローゾやジョイスらに比するものと言ってしまいたい。まぁ、このブラジルの大御所たちは聴き手を掌で転がすような熟練の技を誇るのだが、宇野友恵はまだその域には達してはいないだろう。だが、その独特の“危うさ”や“儚さ”によって聴き手の心を掴み、その歌声の“うねり”の中に引き込み、そして翻弄するのだ。ある意味これも“掌で転がしている”ということなのかもしれない…。    RYUTistではヴォーカルリーダーを務め、その仕事ぶりはインタビューでも語ってくれているが、グループにおける歌の支柱となっている。そして、自身にも高いハードルを課し、真摯な態度で研鑽を積み、高い表現力を獲得している。   その感性もなかなかユニークだ。好きな歌手に土岐麻子、カネコアヤノ、柴田聡子といった面々を挙げるセンスの良さ。また、読書家でもある彼女は、伊坂幸太郎の「殺し屋」シリーズや堂場瞬一の『垂れ込み 警視庁追跡捜査係』といった小説を好む。そして「めだまを潰すのが好き」という謎の嗜好もあり…(かつては不思議ちゃんキャラだったようだ)。   さらには、純朴で温厚な性格のRYUTistメンバーの中にあって、わずかに陰を感じさせるような部分もあり、時にハッとするような鋭いことを言い放つ一面もある。   一筋縄ではいかない側面が幾重にも重なり、重層的な魅力を形成している。それが声に滲み出ているからこそ、彼女の歌に耳を、そして心を奪われるのだろう。   そんな彼女にお話を伺った。歌についてはたっぷりと、そして幼少期のことや読書についても、さらにはメンバーについてや、自身の「これから」についてなども…。   最後にひとつ付け加えておきたい。彼女は、グループ内では比較的「物言う」タイプではあるのだが、同時にとても心優しい人である。このインタビューでも、言葉の端々にそれを感じ取ることができた。そして、それは歌にも表れている。   『ファルセット』での彼女の歌いっぷりに改めて耳を傾けながら、ぜひご一読いただきたい。         歌うことが怖くなくなりました     ーー友さんとはシリアスなお話をしたいなと思ってるんです。   宇野友恵(以下:宇野):大丈夫かなぁ。   ーー最初から難しい質問をしようかなと。   宇野:頑張ります!   ーーで、最初の質問はこれなんですが、友さん、歌うの楽しいですか?    宇野:楽しいです。今は。   ーー“今は”楽しいですか。    宇野:はい。   ーー楽しくない時期もありました?    宇野:全然楽しくない時もありました。   ーーキツい時もありましたか。   宇野:結構いろんなところで言ってる気がするんですが、一度声が出づらくなっちゃって、歌いづらくなった時期があったんですよ。裏返っちゃったりとか、飛び出しちゃったりとか、そういうことが多くなって、辛かったことはあります。2016年の夏ぐらいですかね。   ーーその話はどこかで読んだことがあります。で、今いろんな映像が残っていますから、それらを観てちょっと検証してみたんですよ。2011年、13年、14年、15年ぐらいの映像では結構ストレートに歌われてて、2016年10月の古町どんどんの映像を見ると、変わってきたなっていう感じがして…。   宇野:そうですね。そこらへんから考えて歌うようになってしまって…。それまでは歌うことに対して何も抵抗なく、何も考えないで感覚で歌えちゃってたところがあったんですが、2015年の「神話」のレコーディングの頃から優しい歌い方、ふんわりした歌い方が多くなってきて…。それまでの自分はストレートなハッキリした歌い方が得意で、それ以外の歌い方を知らなかったんですが、一回そこで考えて歌うようになったらだんだん歌えなくなっちゃって、「もう歌うの怖い」って思うようになって…。2016年夏あたりがどん底でした。   ーー結構考えちゃう性格ですか?    宇野:そういう印象を持たれやすいんですけど、意外とそんなことはなくて…。でも、嫌なことは引きずるタイプではあります。切り替えるのが苦手で…。   ーー(佐藤)乃々子さんは「次の日になったらもう忘れる」ということをおっしゃってました。「悩みはない」って。かなりしつこく訊いたんですが、全然出てこなくて(笑)。   宇野:「今が楽しければいい」って言ってましたね。すごくいい言葉だなと思いました。   ーーでも、友さんは結構考えちゃって、それが悪い方向に行く場合もあったりするわけですか?    宇野:そうですね。その頃は嫌なことがあるとずっと頭の中でぐるぐるしちゃって、どんどん悪循環になっていって、それも歌に影響してたんじゃないかなって思います。今は「あんまり考えないようにする」「寝たら忘れる」っていうのを徹底してます。   ーー今はそういう風になれたわけですね。   宇野:そうです。その頃に比べるとだいぶ自分の考え方も変わった気がします。   ーーその辺がどう変わってきたのかを探ろうと思っているんですが、まず言っておきたいのが、僕、友さんの歌が大好きなんですよ。   宇野:本当ですか?    ーーちょいちょいTwitterなどで呟いてるんですけど、日本で一番好きな女性ヴォーカリストの一人です。   宇野:本当ですか? どれぐらいいる中でですか?    ーー5~6人ぐらいですかね。例えば、矢野顕子さんとか、PSY・SのCHAKAさんとか、ACOさんとか、トルネード竜巻の名嘉真祈子さんとかすごく好きなんですが…。   宇野:その中に入れていただいてるんですか?   ーー入れてます。   宇野:うれしい!   ーーどこが好きかっていうと、まだいい言葉が見つかってないんですが、歌が“波打つ”というか、メビウスの輪のように“よじれる”というか。それによって色彩感とか質感が流れるように変わっていくというか…。それって、ある意味声がひっくり返ることから生まれたもののような気がするんです。なので、子供の頃のストレートな唱法から、柔らかいものを求められて思い悩んで、いろいろやろうとして声がひっくり返っちゃった、というところから出来上がった唱法じゃないか、と。それがすごくいい形になってきたんだなと思ってるんですが…。   宇野:うれしいな。ありがとうございます!   ーーそうなんです。でも、その“唱法”は、あまり考えないようにしたらそういう風になってきたってことですか? それともいろいろ試行錯誤されたんですか?    宇野:いろいろやりました。普通に歌うこともままならないっていう時は、本当に歌うのが怖くなって、ライブで歌うのが怖くて、どうしよう、ってなってたんですが…。(プロデューサーの)安部さんのアドバイスだったんですが「なんでもいいから出せ」「ぶっ壊して出しちゃえ」って言われて、それで一段階気持ち的に抜け出せた感覚があって…。全部で5段階ぐらいあるんですけど(笑)。   ーーぜひ聞きたいです。その5段階。まずは「なんでもいいから出せ」ってことで、とにかく歌えることにはなったと。   宇野:はい。で、2段階目は、その頃、永井ルイさんにヴォーカルトレーニングをしていただいたんですが、「いっぱい息を吸ってから歌おう」ってアドバイスをいただいて。それまでは、本当に何も考えなくても歌えてたので、息を吸うとか考えなくてもできてたんですが、息を吸うことを意識してをやるようにしたら、ちょっと歌いやすくなったんです。   ーー息を沢山吸うと声が出しやすくなるんですか?    宇野:緊張して声が出にくくなってるので、1回深呼吸をするような感じで息を吸ってから歌うっていう、本当に基本的なことなんですけどね。   ーー喉とか気道とかに一度空気を通しておいて柔らかくする、みたいなそんな感じなんですかね?    宇野:そうですね。それが2段階目でした。あ、5段階もなかったかもしれない。それが確か2017年ぐらいだったかな。「口笛吹いて」のサビ前の「変わらないから」のところとか全然出なくて…。レコーディングで「ここは友恵さんに歌って欲しい」って(作曲した)KOJI obaさんに言っていただいて、そこの歌割りをいただいたんですが、レコーディングの時にすごく頑張ってなんとか録れたんです。ライブで「口笛吹いて」を披露してからも「ライブでやるごとにちょっとずつでいいから直していこう」みたいな感じで、私の歌に関してスタッフさんも結構気にかけてくださってたんですけど、それでレッスンの時に「息を吸ってやるようにしたらどう?」みたいな教えていただいたんです。それをやったら「口笛吹いて」の自分の一番気にしてたパートでがツンって歌えるようになって、それが2段階目の成長です。   ーーその後は?    宇野:その後は、良くなったり下がっちゃったりと波があったんですが、すごい最近なんですけど、『ファルセット』のレコーディング期間中に、自分で10分ぐらいの発声練習を作ったんです。今までやってきた発声練習をいろいろと組み込んで。それを毎日やって、歌い方を矯正したんです。基礎が大事だと思ったので。『ファルセット』のレコーディングをやってくたびに、どんどん歌うことに抵抗がなくなって楽しくなっているのを感じて、最後にレコーディングしたのが「春にゆびきり」なんですけど、この曲は一番いいテイクが録れました。一番納得して、しかも歌を楽しむことができたレコーディングだったと思います。   ーー僕の認識では、高校を卒業するぐらいに何かスランプといいますか、思い悩んだ時期があったとのことですが…。それって『日本海夕日ライン』が出るぐらいの頃ですか?    宇野:その前後ぐらいです。   ーーで、その後は歌い方を変えて、新しい技を修得して、そこから絶好調になってきたかなって印象だったんですけど、本当に納得したのは『ファルセット』で、ってことですか?    宇野:すごい最近です。メンバーも含めていろんな人を参考にして歌のまねをしたりとかして、やっと自分の歌いやすい方法を見つけたというか…。いろいろネットで調べたりとかもしました。   ーーネットで調べたりとかしたんですか?    宇野:ネットに上がってるんです。発声の仕方とか。   ーーあぁ、動画とかご覧になったわけですね。そういった情報を集めて、ご自分のオリジナルの基礎練習法というか発声練習法を作って、その成果が『ファルセット』で遺憾なく発揮されていると。   宇野:そうです。でもまだまだです。   ーー友さんの目標や理想は高いですから、ご自分ではまだまだだと思われてると思うんですが、でも、ある一つの到達点には達したみたいな感覚はありますか?    宇野:そうですね。歌うことが怖くなくなりました。