FEATURE

2023.05.05
富田安紀子

わたしが発信することで、世の中で障害者へ対しての理解が深まるのなら、わたしは積極的に発信していこうと今は思っています。

目の障害から左目の視力を失い、今は義眼姿。右目もいつかは視力を失うと宣言を受けている。それでも、自分の生き甲斐や表現者としての可能性を信じて、活動を続けているのが、和太鼓奏者・パーカッショニスト・ダンサー・パーソナリティ・シンガー・役者と多彩な活動を行っている富田安紀子。NHKラジオ全国放送、視覚障害ナビラジオ「リンク・スクエア」のレギュラーパーソナリティは5年目になり、リスナーの視覚障害者からは絶大な人気を得ている。また、白杖捜査官を描いた「ラストマン-全盲の捜査官-」で白杖がクローズアップされたことで、白杖シンガーとして富田安紀子にも注目が集まっている。  
  富田安紀子は先日、もう見ることもないと思っていた星を、とある旅行をきっかけに約20年ぶりに見たときの感動を、大切な人を思う気持ちに重ねて表現した『星は、なにいろ?』を配信リリース。その歌に感銘を受けた人たちから今、多くの”心を励まされた”声が彼女の元に届いている。
  富田安紀子とはどういう人なのか。その心模様を、ここにお伝えしたい。

 

1


それまで人の目を見て話すこともできなかった自分が、義眼を入れたことをきっかけに、しっかりと人の目を見て話せる自分に変われれば、今までにも増して性格も明るくなれました。


――安紀子さんは、昔から表現活動を続けてきた方ですよね。

富田 4歳のときに和太鼓を習い始めてから、今も、ずっと続けています。

 

――先日、『星は、なにいろ?』を配信リリースしました。歌の活動は、何時頃から始めたのでょうか。

富田  歌い始めたのは、3年前になります。きっかけは、今、CoCo Diversity Entertainmentへ所属したことでした。ここには、わたしと同じように障害や難病を持つ方々が多く所属しています。きっかけは、母親が応募したことでしたが、ちょうどその時期、わたしは失明していた左目に義眼を入れました。それまで人の目を見て話すこともできなかった自分が、義眼を入れたことをきっかけに、しっかりと人の目を見て話せる自分に変われれば、今までにも増して性格も明るくなれました。
  もともと、小さい頃からち明るい性格でしたが、今の障害を背負うようになってから心を塞ぐようになったことや、小学生の頃も含め、中学生になって以降、障害のことでいじめを受けるようになり、人と話をすることもなくなれば、ずっと足元ばかりを見つめているような子になっていました。そんな自分を変えることの出来たきっかけが、大学時代に、障害を持った今の自分を真っ直ぐに受け入れ、一人の人間として普通に接してくれる友達と出会ったことでした。話、少し長くなりますけど,いいですか?

 

――どうぞ、どうぞ。

富田  大学時代に、障害者の自分を一人の人間として受け止めてくれる仲間と出会い、明るい自分を取り戻したと言いつつも、次第に失明してゆく目の病気もあって、義眼を入れるまでは、自分の障害にコンプレックスを持っていたことから、なかなか心を開くのが難しかった自分もいました。でも、義眼を入れたことで、それまで髪の毛で隠していた左目も堂々と見せられるようになれば、好きな髪形もできたり、相手の目と目を見て話せるようにもなって、少しずつ自分に自信を持つようにもなっていました。そんなわたしを見て、母親が、今、所属しているCoCo Diversity Entertainmentの所属オーディションに応募しました。
  今も続けていますが、その当時のわたしは、正社員として介護福祉士の仕事をすれば、その仕事に自信と誇りを持っていました。同時に、幼少の頃より長く続けてきた和太鼓の奏者や師範としても活動。だからこそ、当時のわたしは、母親に対して「なんで勝手にそんなん応募するのよ。わたしは、今のままで十分充実した生活が出来てる。そもそも、芸能のお仕事だって興味はないし」と、喧嘩もしていました。
  そのことを、和太鼓の師匠に愚痴を零すように言ったことがあったんですね。そのときに、滅多に怒らない師匠に「安紀ちゃん、お母さんの気持ちになって考えたことある?」と言われました。

 

――母親がどういう気持ちで応募したのかを、当時の安紀子さんは…。

富田  まったく気付けていなかったんですよね。そのとき師匠に「お母さんは、安紀ちゃんの表現者としての可能性をもっともっと広げてあげたい一心で、きっと応募したんだよ。いつか目が見えなくなったとしても、それでも自分の表現者としての可能性や、安紀ちゃん自身を生かせる場をもっともっと広げたくて。何より、今の小さな世界だけに収まることなく、もっといろんな場に安紀ちゃんを羽ばたかせたかったんだと思うよ」と言われました。その言葉を胸に今の事務所のオーディションを勝ち進み、所属したわけですが。それが5年前になります。
  今の事務所は、わたしの可能性の芽を伸ばそうと、いろんなチャンスを与えてくだされば、今も、その姿勢を持ってわたしの活動を支えています。それこそ、長く続けている和太鼓奏者としての活動もサポートしてくれていますし、ここの事務所に入ったことで、パーカッションやダンス、ラジオ番組などを通してお話をする仕事など、いろんな表現をしてゆくチャンスの場を与えてくださいます。その中の一つとしてあったのが、ちょうど3年前に始めた歌うことでした。

 

――そこから、歌としての表現が始まったわけですね。

富田  そうです。ただし、先に伝えておくと、わたしはシンガーやソングライターが主ではないから、それも、わたしを生かせる、好きな表現の手段の一つとしてあること。ここの事務所は、いろんな可能性の芽を開かせようと、いろんなチャンスを与えてくださいます。わたし自身、進行性の病気ということから、いつかは視力をすべて失う日が訪れます。でも、その日を悶々と待つのではなく、今の右目が見えている時期に、出来るだけいろんな経験をしたいとわたしは思っています。経験はけっしてお金では買えないもの。だからこそ、チャンスがあるなら積極的に向き合う精神で活動をしていますし、わたしの活動を事務所が支えてくれています。
  もちろん、挑戦したうえで、わたしに出来る出来ないが見えてくることから、挑戦したうえであきらめたこともあれば、才能を伸ばし続けていることもあります。あきらめたことについても、わたし自身は納得して辞めたことだから、まったく後悔はしていません。むしろ、そうやって自分の可能性を追求していけること自体が、わたしの刺激になっています。

 

――今の安紀子さんの中、歌も、大切な表現手段になっているようですね。

富田  自分の気持ちをメロディーに乗せて歌える、自分の思いを歌声に乗せて伝えていけるのは、とても素敵な表現手段だと思っています。とくに、自分で作詞をした歌は、自分の気持ちを、感情と一緒に乗せて伝えていける術。だからこそ、これからも歌は突き詰めていきたいと思っている表現の一つです。

 

――今はまだ…。

富田  オリジナル曲として歌っているのは、自分で作詞をした『星は、なにいろ?』のみになります。イベントで歌うときは、そのときのわたしの心情に近い歌をカバーする形でも歌っています。

 

2


「こんな時間なのに、たくさん飛行機が飛んでいるんだね」と言ったら、親友が「安紀ちゃん、あれは星だよ」と教えてくれました。


――良ければ、『星は、なにいろ?』が生まれる背景も聞かせてください。

富田  この歌詞が生まれた背景にあるのは、わたしが小学校1年生のときに目の病気になり、一度、両目とも失明寸前にまでなったことがきっかけでした。最初は、今の病名まで診察してもたどり着けず、進行がだいぶ進んだときに、ようやく病気が判明しました。そのうえで手術を行った結果、左目の視力は失いましたが、右目は少し良くなり、手術前よりも見えるようになりました。それでも、進行性の病気ということで、いつかは右目の視力も失われてしまうのですが…。その手術をした頃からわたしは、星空を見ることは出来なくなりました。まだお月さまはなんとか見えていますけど、その頃から星空がわたしの視界に映ることはなくなりました。
  あの当時からずっと星空を失った生活の中、今から約3年前、親友と宮古島に旅行に行きました。そのときに、わたしは親友が申し込んだ「星空フォトツアー」に参加。それは、星空と一緒に写真が撮れるという内容でした。わたし自身は星が見えないのはわかっていたので、親友と行った記念として。そのうえで、写真に映っている星空の下に自分がいたんだと思えるだけでも嬉しいなと思って参加をしました。
  あのときは、深夜の3時に集合。撮影のためのセッティングを終えた中、パッと夜空を見たときに、わたしの目にたくさんの飛行機が飛んでいる様が見えたんですね。だから親友に、「こんな時間なのに、たくさん飛行機が飛んでいるんだね」と言ったら、親友が「安紀ちゃん、あれは星だよ」と教えてくれました。その言葉を聞いて、わたし「えっ?!星なの??」と驚いた声を上げていました。
  当時のわたしにしてみれば、もう20年近く星を見たことがなかったし、もう見れないと思っていました。なのに、星空を見れたことでめちゃめちゃ嬉しくて感動すれば、右目はもちろん、義眼の入っている左目からもたくさんの涙が零れていました。
  この命が尽きる前に、もう一度、この目で星空を眺めたいと思っていた願いが、あのときに叶いました。だからこそ、そのときの思いや感動をどうしても形にして残したくて。当時のわたしは、詩として書き記しました。その気持ちを和太鼓の師匠に伝えたときに、「じゃあ、この思いを歌にして残そう」ということから作曲をしていただき、『星は、なにいろ?』が生まれました。

 

――楽曲が出来上がったとき、どんな気持ちでした?

富田  すごく嬉しかったです。わたしが『星は、なにいろ?』にどうしても入れたかったのが、「見えたんだ」という言葉。それまで見えないと思っていた星が見えたことから、どうしても「見えたんだ」というワードを楽曲の中に生かしたかったんですね。その言葉を、しかもサビの部分に使っていただけたのは、すごく嬉しかったです。それと、『星は、なにいろ?』の歌詞を書くうえで心がけたことが、もう一つありました。

 

――それ、気になります。

富田  『星は、なにいろ?』に書いたのは、わたし自身の経験の話。ここへ至るまでのわたしの背景や、そのときのエピソードを知らない方が聴いたら、ただただ星が見えて感動したという歌にしか聴こえないから、きっと感情移入はしにくいだろうなと思いました。だからこそ歌詞をメロディーに乗せるときに、その相手が恋人や家族、今はあえたなくなった大切な人、片思いの相手など、大切な人のことを歌詞に重ねながら思い浮かべられるような内容に変えて書きました。

 

――安紀子さんは、ピアノの旋律に乗せ、揺れ動く感情のままに歌声を響かせています。シンプルな楽曲の上だからこそ、より、安紀子さん自身の気持ちの揺れが歌声から響いてきて、心を揺さぶられました。

富田  その言葉は嬉しいです。わたしも、自分で歌っているにも関わらず、完成した楽曲を聴いたときに、改めて当時のことを思い出せば、聴くたびに、星が見えたあのときの景色や気持ちが甦ってくるのもあって、いつも涙を浮かべながら聴いています。

 

――すでにイベントで歌ったり、配信リリースを通してたくさんの方々が耳にしていると聞いています。手元にはどんな声が届いているのか、良ければ教えてください。

富田  『星は、なにいろ?』が生まれたエピソードを、ブログを含め、SNSなどにもいろいろ書けば、イベントでも、先に背景のお話をしたうえで歌を聴いてくださる方々が多いこともあって、「思いが伝わってきた」「聴いてて涙が出てきた」など、たくさんの声をいただいています。その反響を知れたことで、わたし自身が、「歌を通してこんなにも人の心を動かせるんだ」と実感できたことも、すごく嬉しかったことでした。

 

――反響の高さもあって、また新しい歌を求めている人も多いんじゃないですか?

富田  『星は、なにいろ?』のように、自分の心が強く動くことがあれば、また歌にして残したいし、それを伝えていきたいとは思っています。だから、オリジナル歌に関しては焦ることなく進めていきます。それに今、和太鼓のほうも奏者のみならず,、指導者としても勉強を重ねているところですから、そちらも、もっともっと究めていきたいなと思っています。

 

3


わたしが何かしら行動をすることで、それがみなさんに勇気や希望などのエールを送っていけることになるのなら、これからもわたしは積極的に活動を広げていきたい。


――安紀子さんは、障害者であることを隠すどころか、そこを自分の魅力として置き換えて積極的に発信している方。その姿が、同じ視力障害の方のみならず、いろんな障害を抱えた人たちの希望にもなっていますよね。

富田  そうなれているのであれば嬉しいですし、そうなっていきたいです。以前までは、それこそ20年くらい、学校でいじめにあっていたことを、親にもずっと言わずにいました。でも、こういった活動を始めたことで、それを告白。そうしたことで同じ境遇にあっている人や、同じ経験を持つ人たちからの反響の声が上がれば、相談事を受けるようにもなるなど、同じ立場の経験者として、いろんな人たちの気持ちへ寄り添ことが出来るようにもなりました。その経験もあるからか、今では、いろんな経験や、今の自分の状況をオープンにしながら。そのうえで、一人でも多くの人の心の助けになるのなら、そこは積極的に発信をしていこうという気持ちにもなれています。
  実際、今のような表現の活動を始めたことで、わたしのことを知ってくださった同じ障害者の方々や、そのご家族の方、もちろん健常者の方々も含めてですが、SNSを通していろんな感想の言葉から相談事までいただくようになりました。それこそ、「義眼を入れたいけど、怖い」という悩み事から、わたしと同じように義眼を入れたけど、「なんか違和感を覚えてて」という同じ立場としての相談。同じ、目の障害を持っている方々は、もちろん。異なる障害を持った方々からの、障害を持っているうえでの相談事。障害者の子供を持つ親御さんからの相談。健常者の方々からだって、いじめについてなど、心の病気についての相談事だって寄せられています。
  そういう反響をいただくようになってから、過去にいじめられたことも前向きに捉えられるようになったと言いますか、こうやって告白したからこそ、似たような経験を持つ人たちの心の支えになれている。それが嬉しいし、それをわたし自身が活動をしてゆくうえでの励みにもしていられる。たとえ微力であろうとも、わたし自身が今の自分をオープンにすることで誰かの支えになるのなら。わたしが発信することで、世の中で障害者へ対しての理解が深まるのなら、わたしは積極的に発信していこうと今は思っています。

 

――すごく素敵なことですね。

富田  たくさんの相談事をいただけるのは嬉しいことですが、時間的や物理的な面でも、すべての方々にお答えしたくても出来ない状況や環境も、今は正直あります。そこにもどかしさを感じているからこそ、そこをどうにかしたい。一番の理想は、全員にお返事をすることですが、したくても出来ない状況にあるのなら,それを違った形でも良いから、何かしらメッセージをしていきたいなと思って、いろいろ模索もしています。

 

――安紀子さんも参加していますが、今、CoCo Diversity Entertainmentが毎月第三日曜日の14時から開いている「ダイバーシティ・カフェ品川」。そこで働く人や、表現活動をしている障害者の方々って、めちゃめちゃポジティブな人たちばかりですよね。あの元気さに触れていると、障害者ということさえ忘れ、普通に一人の人間として接していられます。

富田  わたしも、あそこにいると、自分が障害者であることを忘れられると言いますか。あの空間には、いろんな障害を持った方々が集えば、健常者の人たちも普通に訪れています。そこにいる人たちは、障害であることを隠すことなく自分を堂々と出していれば、健常者の方々だって、普通にみんなと接している。だからといって気を使っていないわけではなく、たとえば車椅子の方がいたら、当たり前のように後ろから押して手伝うなど、相手が障害者だとわかっているからこそ、当たり前のように自然体でサポートもしてくださる。わたしだって、目が見えなくて困っているときは、当たり前のようにみなさんが支えてくださいます。そういうやりとりが自然と生まれているのが、あの場です。もちろんわたしを含め、当事者は障害者であることを自覚していますけど、そこへ引け目を感じる意識さえ忘れてしまえるといいますか、障害者健常者という意識など気にすることなく接していられるのが、あの空間なんです。

 

――みなさん自信を持ってると言いますか、障害者であることをポジティブに受け止め、明るく接してくれる。だから、こちらも普通に一人の人間として、変な意識を持つことなく接してゆくんでしょうね。それこそ、義手でコーヒーを淹れ、配膳してくださっても、それを当たり前の行動として受け止めてしまうように。

富田  あの空間では、そこで働く人障害者の人たちも、訪れる障害者や健常者の方々も、みなさんが、その人の人間性を見て接しています。外見ではなく、中身を見て触れ合っている。そういう空間がもっともっと広がっていけたら、そんな嬉しいことはないじゃないですか。今の事務所は、その環境を押し進めていますし、わたしも、それを担う一助になれるのなら積極的にやっていきたいなと思っています。

 

――みずからの「やりたい」と思った行動の一つ一つが、結果的に、いろんな人たちの心の支えや希望になっている。それって、本当に素敵なことだと思います。

富田  わたしもすごく嬉しいし、自分を突き動かす力にもなっています。

 

――最後に、近況をお願いして良いでしょうか。

富田  先に触れた、毎月第三日曜日の14時から、北品川のお店をお借りして開いている「ダイバーシティ・カフェ品川」。次の開催が5月21日になります。そこへわたしも参加すれば、ミニライブという形で、配信したばかりの『星は、なにいろ?』を歌います。
 『星は、なにいろ?』のタイトルに「なにいろ?」とわたしは名付けました。わたしがその色を発見するまでのストーリーはもちろん。「出来ない」ではなく、無理だと思っていたわたしにだって星が見えたように、何事でも、挑戦していくことで可能性の扉が開いていくんだということを感じていただけたら嬉しく思います。実際に、歌を聴いて「勇気をもらった」という言葉を耳にするたび、わたし自身も勇気をいただいています。
  これは事務所の社長が言ってくださった言葉でしたけど、わたしが今の活動を積極的に行うことで、同じ障害を持った、事務所に所属している同じ立場の人たちが、わたしの行動を励みにしながら、同じように積極的に行動すれば、わたしを、活動してゆくうえでの心の指針にもしてくださっていると聞きました。それは、事務所所属の人たちのみならず、同じ障害者を抱えている人たちや、そのご家族の方々も、「富田安紀子のような(積極的に挑戦していく)人になりたい」と指針にしてくださっています。わたしが何かしら行動をすることで、それがみなさんに勇気や希望を与えていけることになるのなら、これからもわたしは積極的に活動を広げていきたい。そう思っています。
  最後に、改めて『星は、なにいろ?』のお話になりますけど。わたしは、星を、大切な人に例えて書きました。聴いてくださる方々も、自分が大切にしている方への思いと重ね合わせて聴いていたたけたらなと思っています。良ければ、聴いた感想を聞かせてください。そして、直接、わたしの歌を聴きに来ていただけたら嬉しいです。よろしくお願いします。

 

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TEXT:長澤智典


★インフォメーション★

《義眼シンガー》富田安紀子の配信楽曲「星は、なにいろ?」がリリースになりました。
https://linkco.re/TBHsx9e8

NHKラジオ第二放送【視覚障害ナビ・ラジオ/リンク・スクエア】 
https://www.nhk.or.jp/heart-net/shikaku/

富田安紀子「星は、なにいろ?」配信デビュー記念ミニライブ
【日時】5月21日(日)14時~17時
【場所】ダイバーシティ・カフェ品川
【住所】東京都品川区北品川1-23-24 上矢ビル


SNS

https://linktr.ee/Arky_coco

CoCo Diversity Entertainment
https://coco-de7.com/
 
 

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